顕正会ウオッチャーさん、お待たせしました。
去る9月25日(日)に開催された、九州大会の講演をご紹介します。

旧ブログではすでに恒例(?)となっておりましたが、
今回は、現役さんご提供のCDを元にしたテープ起こしです。

講演はトータルで約40分。《前編》と《後編》に分けました。
そろそろ、顕正新聞の特集号も出ている頃でしょうかね?

毎度のことですが、長いですよ〜。
さっそく《前編》より、ごゆるりとお楽しみくださいませ♪

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<九州大会・浅井会長講演>《前編》

こんにちは。
今日の九州大会、まことに素晴らしい。ほんとうに見事であります。
この広い大会場が、ついに埋め尽くされた。
広い大会場から、燃え立つような九州のみなさんの
信心の大熱気をわたくしは感じました。
そして一人一人の登壇、まことに大情熱で心を打たれました。
それにつけても、このところ九州の災害はすごいですね。
天変地夭ですね。
4月には震度7の地震が連発した。このような記録はないでしょう。
震度7といえば、気象庁で決めている震度1から2・3・4…7…。
7以上はないんです。これ以上の激震はない。
そこで震度7を「激震」と通称するわけでありまするが、
それが24時間以内に2度も起きた。記録にないでしょう。
これが中央構造断層帯(※1)でもって初めて起きたですね、巨大地震であった。
それから、台風の襲来が何度も来た。
台風10号などは中国大陸に行くと思ったらば、
反転をして迷走をして、またこちらに来たんです。
で、東北のほうへ抜けていった。
ああいうような、まるで台風に目があるかのような、
意思があるかのような、そういう動き方をしたかと思ったら、
つい数日前の16号台風、これが、九州各地にですね、
大被害をもたらしましたね。大洪水ですよ。
こういうような中にです。よくこれほどの見事な結集が
成しとげられたものと、
わたくしはこの事が本当にありがたい。
うれしい。みなさんの信心が、うれしいのであります。
思えば九州は、大聖人御在世に他国侵逼をうけた唯一の地であります。
そして今この地に、大聖人様と血のつながった地涌の菩薩が
続々と出で来たり、広宣流布に大情熱を燃やしている。 
いいですか。
本日の九州大会こそいよいよ九州広布を成しとげる、
その出陣式であります。
九州こそ、全国の先陣を切ってほしい。
こうわたくしは強く念願をしておりますが、皆さんどうでしょうか。(大拍手)

いいですか。広宣流布は、もう近いんです。
わたくしはこれを言葉として簡単に言うのではなく、
ほんとうに広宣流布は間近に迫っている。
なぜならば、もし広宣流布しなければ、
核戦争による世界の戦乱で人類が滅んでしまう。
他国来難で日本が滅んでしまう。
そのようなことを、大聖人様がそのまま見過ごされるわけがない。
ゆえにもう広宣流布は大聖人の御力によって、絶対に成るんですね。
大聖人様は新尼抄にですね、
「仏法は眼前(げんぜん)なれども、時来たららざればひろまらず」(※2)と。
仏法がそこにあったとしても、時が来なければ弘まらないのだ、と。
例えば大海の潮は、時が来なければですね、潮(うしお)が満ちてこないのと同じである。
と仰せになっておられますが、時が来ればあっという間なんですね。
みんなが「衆生に此の機有つて仏を感ず」(御義口伝)(※3) 
今まで信心なんか大嫌い、南無妙法蓮華経を唱えない、
こんなことを言っておった者がですね、時が来ればみんな
「もう日蓮大聖人以外にない」と、みんな心、命でもって
仏様を感じて求めて入信するような時がくる。
もう、その時が来ているのであります。
大聖人御入滅後700年、ようやくその大聖人様が「時を待つべきのみ」と
仰せになったその時が今、来たのであります。
 
大聖人様は、広宣流布が必ず実現することを、このように断言しておられる。
諸法実相抄「剰へ(あまつさえ)広宣流布の時は
日本一同に南無妙法蓮華経と
唱へん事は大地を的とするなるべし」と。
広宣流布の時には、日本中がぜんぶ一人残らず「南無妙法蓮華経」と
唱えるようになる。このことは凡夫には考え難いかもしれないけど、
大聖人様は「大地を的とする」とおっしゃっている。
仏様がそのような御断言をあそばされている。必ず来るんです。
では、どのような時に広宣流布が実現するのか。
撰時抄には、こう仰せになっておられる。
「其の時天変地夭盛んなるべし。
乃至、前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし
其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ
或は身ををしむゆへに、乃至、皆頭を地につけ掌を合せて
一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」と。
天変地夭の起こるとき、前代未聞の大闘諍起こるとき
一同に唱えるのだ、と仰せになっておられる。
また、上野殿御返事には、
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計として
日本国一時に信ずる事あるべし」と。
この撰時抄ならびに上野殿御返事、
これらの御文の意はです、こういうことです。

全人類をお救いくださる日蓮大聖人に対し、
もし日本国中が誤解して迫害するならば、
仏法守護の諸天善神は、まず天変地夭をもってその国を諌める。
それでもなお背き続けるならば、
諸天はついに隣国をして、その国を攻めしむる。
かくて前代未聞の大闘諍は起こり、他国来難が日本をおそう。
このとき人々は国が滅びわが命を失う恐怖から、
はじめて日蓮大聖人の大恩徳にめざめ、
日本国一同「南無妙法蓮華経」と唱えるにいたる。
いうことが、今の撰時抄ならびに上野殿御返事の御意であります。
いま、大聖人御入滅後すでに700年。
いまだに日本国の人々は、大聖人に背き続けている。
それだけではない。もっと重大なことは正系門家が
国立戒壇建立の御遺言を捨ててしまった。
さらに創価学会があろうことか、本門戒壇の大御本尊まで否定した。
どうして、諸天怒りを為さぬことがありましょうか。
ここに今、天変地夭は年ごとに激しくなり、
おそるべき第三次世界大戦と他国来難も
すでに足元に迫ってきている。
このゆえに、広宣流布は甚(はなは)だ近い。
わたくしは言うのであります。

IMG_7491(注)写真はイメージです 

大聖人様は、立正安国論に金光明経をお引きになった。
4つの経文をお引きになったんです。
その最初に金光明経をお引きになって、
どういう事を仰せになったかといえば、
諸天善神がその国土を捨て去れば、
さまざまな災難ののち他国侵逼がある、ということをお示し下されている。
よって今日です、あらためてその金光明経の意をですね、
拝してみたいと思っております。
金光明経の、大聖人様が引用あそばされたその一節の冒頭には、こうあるんです。
「其の国土に於て此の経有りと雖も(いえども)未だ嘗て流布せしめず
捨離の心を生じて聴聞せんことを楽(ねが)わず」
これらがずっと、まず冒頭の言葉です。
この経文をですね、文底の義によって読むとき初めて
現実のこととして、その意味がよーくわかるんですね。
日寛上人は、こうご指南くだされている。
ただいまの冒頭の文についてもですね「その国土において」
この意味でありまするが、「その国土」とは日本国なんだ、
「此の経有りと雖も(いえども)」というのは
本門の本尊、妙法蓮華経の五字なんだ。
すなわち、本門戒壇の大御本尊です。
ですから、今の金光明経の最初の一節は
「日本国に本門戒壇の大御本尊ましますといえども」
とこういう具合に読め、と日寛上人は仰せになっておられる。
ですから、引用の文の全体の意味をですね、
最初に申します。この日本国に日蓮大聖人が
留めおかれた本門の本尊・妙法蓮華経の五字、
すなわち本門戒壇の大御本尊がましますとも、
国主および国民がこれを信ぜず、背き続けるならば、
諸天善神は必ず日本を捨て去る。
もし諸天が捨て去るならば、日本にどういう事が起こるか。
それはまず「国威を喪失」(※4)「国威」とは国の位ですね。
国威を喪失し、人々の心が荒廃し、
ついで天変地夭が盛んになり、ついには他国侵逼、
他国から侵略を受けるということが、金光明経の文意であります。
この中にありました「 国威を喪失する」ということは
どういうことか。国の位を喪失する、一等国が二等国になる、
そういう意味じゃないんですね。
これは「国主がその地位を失う」ということが
国威喪失であります。日本は昭和20年にですね、
歴史始まって以来、敗戦国になったんですね。
そしてこの時、昭和天皇は日本国の統治者としての
地位を失って象徴になってしまった。
されてしまったんですね。GHQによって。
これがすなわち「国威喪失」ということですよ。
ですから昭和20年のあのことは非常に重大ですね。
それというのもですね、大聖人御入滅後
500数十年の幕末までの間は、念仏・真言・禅宗等の
仏教の中の邪宗がはびこって、大聖人様の仏法を隠しておった。
そして明治以降においては、今度は国家神道、
要するに、いわゆる天照大神を中心とした神の国
ということでもって、天皇は現人神(あらひとがみ)として明治以来を生きた。
それが、ついに大聖人様を無視するがゆえにですね、
ついに 「此の経有りと雖も(いえども) 」ですね。
この国土に戒壇の大御本尊ましますといえども、
いうことで昭和20年にその罰が、大罰が出て
「国威喪失」という事になったんですね。
ですから明治以来、日本は神の国であるから神をみんな
崇めなければならない。こういうような波がですね、
じつは戦争中に宗門・大石寺にも押し寄せておったんですね。
そして伊勢大神宮の大麻(たいま) 、いわゆる神札(※5)です、
それを貰えとか、そういう圧力をかけたり、
あるいはさらにさらに、なんとなんと、えー大石寺にですね、
戒壇の御本尊を御安置してある御宝蔵、そのすぐ前に「大客殿」という
広い畳敷きのですね、何百畳という客殿がある。
それに接続して大書院という、これも300畳400畳の大きなものですが、
その書院をですね、「陸軍で巻きあげる」と言ったんです。
「借り置く」といって、強引に。そしてそこにですね、
えー、農耕隊という大勢の者を寝泊まりさせて、
なんと戒壇の大御本尊様のおそばにですよ、書院の中にですね、
「神棚を祀れ」ということでもって軍部がですね、
強引に大きな神棚をつくらせたんですよ。
そしてわずか数ヶ月のち、昭和26年の6月、たしか25日と思いましたね、
大客殿から書院から貫主上人(※6)のまします大奥まで、
ぜんぶ出火、原因不明の火事でもって大火で炎上してしまったんです。
大御本尊様のそばで、戒壇の大御本尊様のそばに、
そのような、神札なんということを大聖人様はお許しにならない。
その時の国家の圧力の姿、そして宗門にはですね、
小笠原慈聞というような悪坊主がおって、軍人と連絡をとり、
身延とも連絡をとり、自分が野心を燃やしてひそかにです、
宗門に非常に危ういことを仕掛けておったんです。
そんなこんなでもってです、ついにその神棚をつくらせる、
つくるという事に対してですね、はねのける事ができなかったのか、
その間の詳しい事情はわたしは知りません。
しかし、時の貫主上人は62世 日恭上人であられた。
この方はお人柄は、本当に優れたお方であられる。
しかししかし、この、いわゆる国家の強大な権力で、
恐れ多くも戒壇の大御本尊の御そばに「神棚をつくれ」という
そのことについて、ついにそれをです、はねのける事ができなかった。
そこに宗門全体の責めを負われて、なんとその大火の時に日恭上人は
火中の御遷化をあそばされた。
わたくしはこの事について、言挙げする気にならない。
ほんとうに恐れ多いことだ、まさに大聖人様にお詫びを申し上げたにちがいない。
いうことを心ひそかに思っておりまするが、
それから、それが20年の昭和20年6月、ふた月のちの8月にですね。
広島に長崎に、あの原爆が落とされて、
ソ連が参戦して日本はとうとう敗戦になった。
と同時に、国威喪失ですよ。明治以来続いた、明治・大正・昭和と続いた。
昭和天皇も、お人柄はよかったですね。
しかし、その伝統によって惟神(かむながら)の道、
神道を重んじてですね、知らずとはいえ軍部の者が大石寺に圧力を加えた、
こういうような事から、やはりたちまちのうちに日本国が敗戦となって
国威喪失した。わたくしは国威喪失という金光明経の文をです、
ここによって現実にはっきりとですね、強く思うのであります。

IMG_7492(注)写真はイメージです


そして、この国威を喪失してですね、国の統治者がなくなる。
「主なき国になれり」日本国は国主がなくなったんです。
ですから、いわゆる誰が主人公か。民主主義です。
1億全部が主人公だ。欲望民主主義になった。
ここで、人の心が今度は荒んでくるんですね。
貪・瞋・痴の三毒でもってですね、野放しに、欲望民主主義になってしまった。
ですから国威喪失、その次には、今度は人心の荒廃です。
人の心が荒れる、ということが金光明経に書いてある。
経文には、具体的にこうあるんです。
「一切の人衆皆善心なく唯(ただ)繋縛(けいばく)殺害(せつがい)
瞋諍(しんじょう)のみ有つて互に相(あい)讒諂(ざんてん)し
枉(ま)げて辜(つみ)無きに及ばん」
「一切の人衆」民衆ことごとく善い心がなくなっちゃう。
唯(ただ)繋縛(けいばく)というのは繋ぎ縛る、
これ監禁のことですね。
殺害(せつがい)というのは、この、いわゆる殺人です。
瞋諍(しんじょう)というのは、怒り争うこと。
そして互に相(あい)讒諂(ざんてん)するというのは
「お前が悪い、お前が悪い」と
お互いにそう言い合ってですね、相手を陥れる。
「枉げて辜なきに及ばん」
そのような人の心が悪くなってくると、罪なき者までもですね、
それに引きずり込まれてしまって被害を受ける、ということなのであります。
どうです。今の世の中この通りでしょう。
目を背けるような凶悪残忍な事件がですね、枚挙にいとまがないです。
これすなわち、「一切の人衆皆善心なく」
ということになったからであります。
人が善い心を失い、地獄・餓鬼・畜生・修羅の心になってしまう。
よって人殺しも平気、こういう世の中が来たんですね。
ほんとでしょ、今、人殺しも平気でしょ。
人間が人間を殺す、そんな事ができるわけがない。
いかにいわんや、自分を産み育ててくれた親を殺すなんかできることがない。
それが今、平然として行われるですよ。
最近の例で目立つものを挙げれば、
7月に相模原の知的障害者施設でもってですね、
45人を殺傷するという事件がありました。
元職員だった男が、ナイフを持って忍び込んで
わずか50分の間にです、19人を刺し殺し、26人に重軽傷を負わせた。
戦後最大の殺人事件だったそうであります。
あのとき、みんなテレビで見たでしょうが、逮捕された犯人が警察の護送車の中で、
ニッタリ笑っておったでしょう。なんとも言えない薄気味の悪い顔で、
あれはもう、人間の心がないんです。不気味な笑いであります。
殺された人々は、なんの抵抗もできぬ障害者ですよ。
どれほど恐怖であったか。
その残忍さというものは、まさに悪魔の所業であります。
また、埼玉県の東松山市では、16歳の少年が河川敷で不良仲間に殴り殺しにされ、
裸にされ、河川敷に埋められてしまった、こういう事件がありました。
大雨が降って洪水で河川敷の砂が取れてきたので、
その埋められた死体が出てきた。はじめてわかった。
また、家族どうしの殺人事件も頻発ですね。
今月のはじめ千葉で、二人暮らしの姉と弟の間で凄惨な事件が起きておる。
姉は25歳、弟は21歳。ささいな事で二人は口論となりもみ合いになった。
どっちが殺したかというと、姉が刃物でもって弟を殺したんです。
そして遺体の処理に困って、姉は弟の遺体をですね、
包丁で10以上に切断してビニール袋に入れて冷蔵庫に隠していた。
頭部ならびに顔はです、皮膚が剥ぎ取られていた。
このような残忍な事件を起こしながらその姉はですね、
自分のアルバイト先のスーパーでもってニコニコしながら働いておったと。
これも、人間の心がまったくない。
北海道の旭川でも、32歳の娘がです、両親をふくむ3人の家族を包丁で刺し殺した。
これもつい数日前のことですね。自分を産み育ててくれた親を、
どうしてそのような恐ろしいことができるのか。
また、若い母親が幼い子を殺すという事件は、もう多発しております。
まさに、人の心が荒みきっているんですね。
動物ですらも自分の子供を育てる時はみんな、自分の命を削ってますよ。
親は食べないでも子供に食べさせてる、どんな動物でもみんなそうだ。
鳥でもそうだ、獣でもそうだ。どうして人間が自分の産んだ子供を殺せますか。
すべて「一切の人衆皆善心なく」ですね。
そのような中で、自殺も多いです。つい数日のことでありまするが、
中2の女子生徒が遺書を残して「もういじめないでください」
そして、自分をいじめた者の名前を数名あげてですね、
「いじめないでください」といって、遺書を残して死んだ。
それが新聞に出ておりましたが、こういうのを見ると胸が痛みますね。
かわいそうだ、とほんとうに思う。
日本財団が4万人を対象にした自殺意識調査によれば、
4人に1人が本気で自殺を考えたことがあり、過去1年以内に自殺未遂をした人は、
推計で53万人にのぼっている。日本財団の意識調査であります。
これらは被害者というべき
「曲げて辜なきに及ばん」という事に当たるんですね。
さらに、政府の調査ではですね、今「ひきこもり」というのがあるでしょう。
会社にも出たくない、学校にもいたくない、
そして、ほんとうに自分の家の押入れに入るようなことで
困ってしまうという、社会から逃げてしまった。
これが政府の調査で、56万人っていうんです。
わたしはほんとうに、安倍首相がいつも「成長成長」って、バカ言うんじゃない。
そんな金のことばかり言うんじゃない。この、人間の心をどうするんだ。
金のことばかりしか関心がない。これが今の政治家のレベルなんですね。

これらの人心の荒みは、どうしたら解決できるのか。
政治でも警察でも、学校でも道徳でもどうにもならない。
ここに、日蓮大聖人の仏法がある。
もし御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉れば、
ただちに地獄・餓鬼・畜生・修羅の心が、一変するんですね。
そして、清らかな自利利他の心に変わっていくんです。
「濁水心無けれども月を得て自(おのずか)ら清めり」(四信五品抄)(※7)
どんな濁った水であっても、水に心は無いけれども、
月が映ると自然と水が澄む。
このように御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱うると、
自然とそのように、凡夫の濁った心が澄んでくるんです。
どうしてそうなるのか。大聖人様は仰せくださる。
「南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐まれ給う
(松野殿女房御返事)(※8)
御本尊は日蓮大聖人の御当体、御魂ですね。
この御本尊をひとすじに信じて、日蓮大聖人の御名前、御名である南無妙法蓮華経を
唱え奉れば、凡夫の心に自然と仏様が宿ってくださるんです。
いまの御文では「釈迦仏懐まれ給う」と仰せになっておられますが、
この釈迦仏というのは本因妙の釈迦仏、すなわち日蓮大聖人の御事なんです。
すなわち、御本尊を信じ切って南無妙法蓮華経と唱えれば、
自然とわが凡夫の濁った心に、日蓮大聖人様が宿ってくださる。
そうなれば、もうただの素凡夫ではない。
四悪道の命は一転して、日蓮大聖人の分身となるのであります。
だから現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、
死後の生命も大安楽を得るんです。現世の生活が守られる、
これは過去の罪障があったり自分の生命力が弱いと、
環境に押しつぶされちゃうんですね。生きていかれなくなっちゃう。
そこに「自殺」なんていうことがあるんです。
大聖人様は
「暗きにともしび、海に船、おそろしき所には守りとなる」
(乙御前御消息)(※9)
真っ暗でもって先の見通しがつかない、どう生きていったらいいかわからない
その暗いときにおいて、光が差してくるんだ。
海に船。泳いでいくことができない、そのときに船となってくださる御本尊様。
それで、恐ろしい所には守りとなってくださる。
このように、この御本尊を信じ切れば、
行き詰まりってことがないんですね。必ず道が開けてくる。
わたくしはいつも「何があっても大丈夫だ。」ということを言い切るんです。
現世には生活が守られ、そして臨終には成仏の相を現ずる。
顕正会で、よき臨終の体験をここのところ本当によく聞きますが、
そのたびにわたくしは、なんと大聖人様の大慈悲は有り難いことか、
御本尊様は有り難いことかと、ほんとうにその時その時、胸が熱くなってまいります。
臨終に成仏の相を現ずる仏法に、嘘はないんです。
その臨終の相を見れば、死後にその人が大安楽を得るということも
わかるのであります。これを「現当二世」っていうんですよ。
現世には守られ、そして臨終以降においても
また大安楽を得る。これが現当二世です。
恐れ多いことでありまするが、戒壇の大御本尊様の授与書きには、
「右 為現当二世(みぎ・げんとうにせいのため) 」
と、こうおしたためがある。この現当二世です。
全人類の現当二世を、大聖人様は救ってくださる。
それが戒壇の御本尊様に「右 為現当二世」と、
仰せになっておられるのであります。
まさに日蓮大聖人の仏法こそ、人を国を、
根底からお救いくださる唯一の大法なのであります。

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<平成28年9月25日 顕正会・九州大会より。於 別府国際コンベンションセンター>


たいへんおつかれさまでした。
〜《後編》へ続きます〜

 【注釈

※1 正式には「中央構造断層帯」
※2 正しくは
「仏法は眼前(がんぜん)なれども機なければ顕われず
時いたらざればひろまらざる事
※3 御義口伝」を補足。
※4 文意から「国位」でなく「国威」と意訳。
※5   聴き取り不能のため「神札」意訳。
※6 「貫主上人(かんずしょうにん)→後日訂正しました。
※7 四信五品抄」御書名を補足。 
※8 松野殿女房御返事」御書名を補足。
※9 乙御前御消息」御書名を補足。