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顕正会ウオッチャーのみなさん、お待たせしました。
去る12月3日(日)に行われた、
中国・四国大会の浅井会長講演をお届けいたします。

恒例のごとく音源を借りてのテープ起こしですが、
諸事情により、全体を《前編》《中編》《後編》の三回に分けて、
少しづつ書きおこしていく予定です。

状況が許せば、最後に本大会のまとめ記事(所感) を添えたいと存じます。
きょうは会長講演全50分(長いです!)のうち、はじめの約18分までを掲載いたします。

それでは、ご堪能くださいませ。 

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<中国・四国大会・浅井会長講演>《前編》 

こんにちは。きょうの中国・四国大会、まことに見事ですね。
そして、登壇のひとりひとりがまことに立派。
何よりこの大会場がぎっしり、これほど密度高く、
通路もないぐらいに埋まった会場っていうのは、わたしは地方大会で初めてです。
しかも、この会場にじつは入りきれないで、きょうはこの付属のいくつかの会場にです、
またそこも、いっぱいになっちゃってんですね。
おそらく、この会場の関係者が「こんな集まったのは初めてだ。」と言って、
驚くと思うぐらい。きょうは、本当にみなさんは熱烈に集まってくれました。
みなさんのこの熱烈な信心と広宣流布の大情熱、わたくしは深い感銘を覚えました。

えー、広宣流布は東日本と西日本が相呼応して肩を並べて進まなければ、
絶対に叶わないんです。ところが、わたしがずーっと見ておりまして、
西日本がちょっと遅れてるということを、ずーっと今まで思っておったんですね。
そこで、何とかしなきゃいかん、えー、わたしはまず最初にですね、
西日本の各県ごとに、次から次へと会館をつくりました。
人材がどんどん出てまいりました。そして、この中国・四国は
西日本のなかでは西は九州につながっているし、東は近畿につながってるんですね。
まさに西日本の中央であると。で、いま九州もそして近畿もですね、
大会を終えて敢然と立っております。ここに一番広い地域の、中央の
この中国・四国において、広布の大陣列が整ったらば盤石(ばんじゃく)になる。
そういうことを念願して、三年前の岡山会館御入仏式のときにですね、
いよいよ「三年後には一万人の中国・四国大会を開こう。」ということを
わたしが申しました。そしていよいよ今日、このことが実現したのです。
皆様は、よく約束を守ってくれました。わたくしは今日こそ中国・四国、
そして西日本の、新しい広宣流布の出陣であるということを確信しておりますが、
皆さんどうでしょうか。(拍手)

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(注)画像はイメージです。

さて、仏法の眼(まなこ)をもって見るとき、今はもう広宣流布の前夜であります。
大聖人様は広宣流布・国立戒壇が実現する時期についてですね、
こうご予言しておられるんですね。
三大秘法抄には「末法濁悪の未来」と仰せになっておられる。
いま、どうです?日本の世の中は、濁悪そのものでしょう。
政治も濁っておりますが、犯罪を見てごらんなさい。
もう、この夏でもですね、40代・30代の息子が親を殴り殺したの、
刺し殺したの、こういうような犯罪がいくつもいくつも起きました。
そして。えー。どこだ、神奈川の座間か、9人の若き女性をですね、騙して、
そして連続殺人、2ヶ月のうちに9人殺した。いまだかって犯罪史上例を見ない、
ああいうような事がです、起きてくる。わたしは日本にこのような残酷な、
もう理不尽な犯罪が起きて、そんなこと今まで見たこともない。
これ、末法濁悪の姿そのものであります。

そしてもうひとつ。撰時抄にはです、
広宣流布の時期のあらわれとして、こうおっしゃっておられる。
「前代未聞の大闘諍(だいとうじょう)一閻浮提(いちえんぶだい)に
起るべし。其の時」と、こうご予言しておられる。
いま、この時が眼前に見えてきました。
ゆえにわたくしは「今こそ広宣流布の前夜である。」ということを言い切っております。
この広宣流布の前夜には、日蓮大聖人のご縁に引かれて、続々と地涌の菩薩が
出てくるんですね。末法の三毒強盛の凡夫が、いつの間にか日蓮大聖人を
信じ奉るようになった、そして「南無妙法蓮華経」と唱え、
一生成仏を人生の目的とし、広宣流布の大願に燃え立つ。
これはもう、ただの凡夫じゃない。これが「地涌の菩薩」というんです。
大聖人様は地涌の菩薩の出現について、諸法実相抄にこう仰せくだされている。
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女(なんにょ)はきらふべからず、
皆地涌の菩薩に非(あら)ずんば唱へがたき題目なり」こう仰せになっておられる。
すなわち、末法において日蓮大聖人を信じて我も「南無妙法蓮華経」と唱え、
人にも勧める者は、男女の区別はない。男性・女性の区別はなく、みな地涌の菩薩である。
地涌の菩薩でなくて、どうしてこのお題目を唱えることができようか。
と、こう仰せられるんですね。ついで、
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人・三人・百人と次第に
唱え伝うるなり。未来も又しかるべし。是れあに地涌の義に非(あら)ずや」と。
はじめは、ただ日蓮大聖人ご一人(いちにん)が「南無妙法蓮華経」とお唱えいだされた。
しかし、二人・三人・百人としだいに唱え伝うるようになった。未来もまた同じである。
これすなわち、地涌の義ではないか、と。どうです?御在世も未来もみな
大聖人様のご縁に引かれて「南無妙法蓮華経」と唱え奉るようになる。
これが地涌の菩薩の出現だとおっしゃる。さらに仰せられる。
「剰(あまつさ)え広宣流布の時は、日本一同に
南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」
そのうえ広宣流布の時には、日本一同が南無妙法蓮華経と唱えることは、
大地を的とするところであると、こう大聖人様が断言をしておられるんですね。
仏様が、御本仏が「大地を的とするところ」とご断言あそばされていることが、
むなしくなることが断じてないんです。必ずや日本国じゅうが地涌の菩薩で満ち、
一同に南無妙法蓮華経と唱え奉ること、これはもう本当に、確実なんです。
ゆえにその前夜のいま、大聖人様のご縁に引かれて、続々と地涌の菩薩が出てくるのであります。

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基礎教学書・広告文カラーコピー(現物) 

いま、基礎教学書「日蓮大聖人の仏法」この広告文のカラーコピーが、
折伏に広く活用されてますね。わたくしはこの広告文コピーこそ、
全日本人に日蓮大聖人の大恩徳を気づかせ、目を開かしめるメスであると思っております。
この広告文コピーの発行部数、今月、12月でついに2000万部突破したですね。
2000部じゃない、2000万部ですよ。これがあと6倍になると、1億2000でしょう。
日本の人口と同じになっちゃう。このように間もなく、
これはもっともっと弘まっていきます。
そして日本国じゅうの人たちがこの広告文を読んで、
日蓮大聖人の大恩徳に気づくようになる。あるいは反発する。
反発、うーんと反発して構わない。反発すれば必ず罰を受ける。
そして順縁でお題目を唱える人、この人は順縁です。順逆二縁を問わずですね、
この書を触れてくれば、だんだんと仏性が開けてくるということを、
わたくしは確信しております。
そして、この広告文には「日蓮大聖人とはいかなる御方か」と題した
短い文が載せられております。短いけれども、大変重要であります。
きょうは、この大会にはですね、入信早々の人たちも大勢来てますね。
ゆえにわたくしは、きょうですね、この広告文の趣旨をひとこと述べたいんです。
どうかしっかりとその趣旨をつかんでですね。
強く信心に立って日蓮大聖人の弟子、
地涌の菩薩として広宣流布に戦ってほしい、ということを念願しております。

まず最初に、いいですか。「日蓮大聖人とはいかなる御方か」
これを一言(いちごん)でいえば、日蓮大聖人は人を国を根底からお救いくださる、
大慈大悲、絶大威徳の御本仏であられるということですね。
この「根底からお救いくださる」これが大事なんですね。
世間の一切のこととは違う、誰も真似できない。根底からお救いくださる。
で、広告文は四段に分かれております。その第一段「人生の目的は成仏にある」
これですね。仏法を知らない人は総理大臣をはじめとして、どの政治家も、
また哲学者も科学者も、誰ひとりとして人生の目的知らないですよ。
みんな、知らないまま生きてるんです。もし生まれてもですね、
人生の目的を知らずに生きてるっていうことは、
行き先不明のバスに乗っかってるのと同じことなんです。
そして時がくれば、むなしく死んでしまう。
その先は、また三悪道に堕ちてくんです。人間はこれを繰り返すんですね。
まさしく人生の目的とは、成仏を得ることにある。
では「成仏」とは何かというと、それは生死(しょうじ)を乗り越えて
死ぬ、生きる、これを乗り越える。生死を乗り越えて、
永遠に崩れぬ無上の幸福境界(こうふくきょうがい)をいうんですね。
人間の一生というのは、わずか数十年で非常に短い。
その間だけの幸福ではない。人生を何回繰り返しても崩れない幸福、
これが生死を乗り越える、永遠に崩れぬ幸福境界だということです。

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基礎教学書「日蓮大聖人の仏法(浅井昭衛著・平成27年)」

もし日蓮大聖人の仏法を実践すれば、いかなる人も宿命が変わってくる。
そして、まず現世に幸せになり、臨終には成仏の相を現じ、
死後の生命も大安楽を得る。これが成仏の境界であります。
このような大境界、どうして世間のほかの手段で得られるでしょうか。
どれほど学校へ行って勉強しようと、どれほど科学を研究しようと、
この境界は絶対得られない。地位や財産による幸福はすぐ崩れてしまう。
仏法による幸福は現世だけではなく、死後の未来世までも永遠に崩れない。
これを「現当二世(げんとうにせい)の大利益」っていうんですね。
たやすく言うことは恐れ多いことでありますが、戒壇の大御本尊様のですね、
授与書きには、「右 為現当二世(みぎげんとうにせいのため)」という文字が
おしたため下されている。これは大聖人様が全人類を現当二世にお救い下さる、
というお約束なのであります。これが「根底から救われる」ということですね。
死んだ先のことはわからない、そう言うような人たちも多いかもしれない。
しかし、仏法は空理空論ではない。すべて証拠をもって論ずるんです。
その証拠とは、臨終の相ですよ。臨終は一生の総決算ですね。
その人が一生、数十年の間にです。どんなことをやってきたか。
悪いこといろいろ、良いこといろいろあるかも知れない。
そのすべて、総決算が臨終の相にあらわれる。
会社の決算書というのは、一年間の企業活動のすべて、損したの得したの、
それが出てくるわけでありますが、臨終は一生の総決算。
そして、その臨終の相にですね、死んだのちにその人がいかなる果報を受けていくか、
この結果と報い、「果・報(か・ほう)」ですね。結果と報いがあらわれてる。
ですから、臨終の相は大事なんです。一生の総決算である。
同時に死んだ先にその人がどんな報いを得ていくか、ということが臨終の相に
前もって厳然とあらわれてくる。ゆえに「臨終は人生の最大事だ」と言うことなんであります。

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(注)画像はイメージです。
 
ゆえに大聖人様は、「されば先(ま)ず臨終の事を習うて後(のち)に
他事を習うべし(注※1 妙法尼御前御返事)と、
こう仰せくだされている。では死後に地獄に堕つる相、また成仏の相とは
どのようなものかといえば、千日尼御書に大聖人様はこう仰せですね。
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色(こくじき)」黒くなる。
「黒色となる上、其の身重き事千引(ちびき)の
石(いわ)の如し
(注※2 千日尼御前御返事)
昔、よく千人がですね、100人1000人が集まって綱を引いてですね、
大きな引っ張る岩を「千引きの岩」って言った。
これは重いんですね。それを例えとして、地獄に堕つる者は死んだのちにおいて、
これ、本当に不思議なんですが、遺体が重くなっちゃうんですね。
これは、顕正会の看護師の人々がよく言うことですよ。
30キロぐらいのですね、痩せた身体なのに、なんと重いのかと。
重くなってっちゃう。こんな不思議なことはないです。
「其の身重き事千引の石のごとし。善人は設(たと)い七尺・八尺の女人なれども、
色黒き者なれども、臨終に色変じて白色(びゃくじき)」白くなってくる。白色となる。
「又軽(かろ)きこと鵞毛(がもう)の如し、やわらかなる事兜羅緜(とろめん)の如し」と。

すなわち、地獄に堕つる者は死してのち遺体が黒くなる上、異様に重くなる。
いっぽう成仏する者は、臨終ののち色が白くなり柔らかく、かつ柔和な相となる。
これ、厳然たる事実ですね。いよいよ広宣流布が近いせいか、
最近は医学界でも医師の中にそういうことをですね、認めることがある。
これは何かというと、顕正会の患者がいう
こないだの総幹部会でも、二人発表してましたね。
ガンが治ったということで、医者が驚いちゃって、それを学会で発表した。
そしたらば、その発表の研究者の中でもって、
「ちょっと聞きますが、それは顕正会ですか?」なんつって。
そしたらば、「そうだ。」ということで、
「じつはわたしも顕正会の患者をあずかっていて、そういう経験がある。」
その中で、その医者の言うにはですね、
「顕正会では臨終に死後硬直がない。色が白くなる。こういうことが言われている。
まことに不思議なことだ。死んだのちに死後硬直は当然である。
医学でも当然の常識なのに、”そういうことが顕正会にはない”っていうことが言われている。」
なんていう事まで、医者が研究発表で言うことになった。
わたしは本当にこれが、医者がですね、大聖人の御金言のとおり、
「地獄に堕つるのは、そして、成仏する者はこれだ。」
「こういう事はなぜ、まだその「なぜ」ということはわからないけれど、
その現証はもう否定できない。」と医者が言うときが来たら、もう広宣流布ですよ。

このように、臨終の相は厳然たる、この善悪があることを、まだ人は知らないです。
もしこれを知ったとき、生命が永遠なんだということがわかる。
そして、三世にわたって因果がつながることもわかってくるんですね。
今生で悪いことをした、そうすれば臨終が終わり、
そうすれば未来において悪道に堕して、
もし生まれてきても貧窮下賤(びんぐげせん)に生まれる。
こういうような、三世の因果がつながってくことがわかる。
もし悪い臨終をとげたら、とり返しがつかない。そうなんですよ。
臨終だけは「もういっぺんやります。」といかないですからね。
これ、とり返しがつかない。そこに「なんとしても一生成仏を遂げなけければ」 
こういう大道念が湧いてくるのであります。
まさに日蓮大聖人こそ、我ら凡夫をして現当二世にお救い下さる
大慈大悲の仏様であられる、ということであります。

注記
 
注※1 「妙法尼御前御返事 」御書名を補足しました。
注※2 「千日尼御前御返事」御書名を補足しました。


<平成29年12月3日(日)顕正会「中国・四国大会」より。於:広島県「ビッグローズ」>



おつかれさまでした。
このテープ起こしは、当日の話し言葉に忠実に、
できるだけ補足・意訳を省いた表現で書いております。

なお、引用の御書名と御文は、顕正会の刊行物を参考にしました。
よって一部解釈しづらい箇所があると存じますが、ご了承くださいませ。

さて、浅井会長は、三年前の岡山会館御入仏式で誓った「1万人結集」が、
この日の大会で叶った、との趣旨を述べています。はたして本当でしょうか?

ちなみに直近の二大会を振り返りますと、

ついに本日、この大会場を埋め尽くす一万人を超える大結集がなされたのであります。
(平成28年12月・近畿大会)


この地にいま、一万を超える地涌の菩薩が信心の真心で大結集をなしたこと、
(平成29年4月・中部大会)

ご覧のように、浅井会長は席上「一万人」の誓願達成を前面に出したのですね。

しかし中国・四国大会では、その数が明らかにされておりません。
会長いわく、メイン会場も、付属の会場までもかつてない盛況ぶりだったとはいえ、
実際に1万人結集が実現したのかは、怪しいものですね。

とはいえ、当日1万人宣言がされなかった九州大会(平成28年9月)でも、
後日の顕正新聞の見出しには「赤誠の結集一万一千人」の文字が
デカデカと載っていましたから。今回も後づけで勝利宣言するんでしょうね。

わたくしは今日こそ中国・四国、そして西日本の、
新しい広宣流布の出陣であるということを確信しておりますが、
皆さんどうでしょうか。(「中国・四国大会」より再掲)

ふたたび中国・四国大会に戻って、この「出陣宣言」です。いいですか〜。

顕正会はいったい何度「出陣式」をやれば気がすむのか?
というほど出陣セレモニーがお好きですが…。
過去の大会を細かく見ると、これも言ったり言わなかったりですね。

たとえば、昨年の近畿大会では、なぜか「出陣宣言」がありませんでした。
九州大会ではしたのに。(涙)ああ、中部大会もナシだったか。
どれも「1万人超」の結集だったのに。うーん。基準がイマイチ分からない。

そこで浅井さん、その埋め合わせかどうか、本大会では
「中国・四国、そして西日本の」だと付け足して、広宣流布の出陣をしたようです。
…いや待てよ。ならば、あの大会はどう説明する?

さあ、本日こそ西日本広布の出陣であります。(平成18年・関西大会より)

今から11年前の会長発言です。あの時、とっくに1万人の関西大会を開いて
とっくに「西日本の出陣」を終えたはずなんですけどね…。
浅井さん、忘れちゃったのかな?

参考:近畿大会直前スペシャル!平成18年「関西大会」

どうやら「出陣」とは、たんなる会長の気分次第のようです。(苦笑)
本大会の講演《前編》には、ほかにもツッコミ所が多々ありますが、
とりあえず、話を先へと進めましょう。

「中国・四国大会 浅井会長講演《中編》」へと続きます。