顕正会ウオッチャーのみなさん、お待たせしました!
4月9日に静岡で開催された、中部大会の会長講演です。

今回も、当日の音源をお借りしてテープ起こしを掲載します。
お寄せいただいた関連情報や、個人の所感などは
次回の「中部大会 浅井会長講演《後編》」で述べたいと思います。

本日は講演の前半部分(約22分間)をお届けいたします。
それでは、ごゆるりとご堪能ください。

中部大会CD


 
<中部大会・浅井会長講演>《前編》 

こんにちは。今日の中部大会、まことに見事ですね。
ひとりひとりの登壇の信心のにじんだ大感動、
そして何よりも、静岡随一のこの大会場が、
中部顕正会員の皆さんによって、あふれかえっております。
皆さんは、3年前の約束をよくぞ果たしてくれました。
この中部には、富士山がある。この富士山こそ、
日蓮大聖人が御遺命あそばされた本門戒壇の建立、
すなわち国立戒壇建立の地であります。
この地にいま、1万を超す地涌の菩薩が信心の真心で大結集をなした。
このこと、わたくしは何よりありがたく嬉しく思っております。

今いよいよ、順縁広布の時が近づいてきたゆえか、
日蓮大聖人の仏法に目覚める人が、
続々と出てくるようになってきました。
以前とは空気が変わってきましたね。
この時も全部、大聖人様がおつくり下されているのであります。
いま「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」
この新聞広告を見ただけで、信心を起こす人も多い。
また、広告のカラーコピーで語り合う中で、入信する人も続々といる。
これ、日蓮大聖人の眷属たる地涌の菩薩が縁に引かれて、
広宣流布前夜に続々と出てくる姿なのであります。

大聖人様は地涌の菩薩について、
諸法実相抄にこう仰せられている。まず、
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と仰せられる。
日蓮大聖人に同心し奉る者はみな地涌の菩薩である、
という仰せですね。そしてさらに、
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は、
男女(なんにょ)はきらふべからず、
皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。」と。
末法においてさまざまな怨嫉・妨害にもめげず、
けなげにこの大法を弘める者は、男子・女子の区別はない。
みな地涌の菩薩である。地涌の菩薩でなくてどうして
このお題目を我も唱え、人にも勧めることができようか、
と仰せくださる。有難いでしょう。

ついで、
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、
二人・三人・百人と次第に唱へ伝うるなり。未来も又しかるべし。
是れあに地涌の菩薩の義に非(あら)ずや。
剰え広宣流布の時は、
日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、
大地を的とするなるべし」

 
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※写真はイメージです

いいですか。日本国においてはじめて「南無妙法蓮華経」と
唱えいだされたのは、ただ日蓮大聖人ご一人であられる。
そして、その御唱えが二人三人百人千人と、
次第に唱え伝えられていくのです。未来も、全くそれと同じであると。
これが地涌の菩薩の出現の姿なのであると、仰せ下されているのです。
そして広宣流布の時には、日本一同が南無妙法蓮華経と唱えることは、
大地を的とする、と大聖人様は仰せになっておられるでしょう。
弓を射るときに的が小さければ外しますけども、
大地を的として外れることはない。
いま、三世を見通される大聖人様が「大地を的とする」と、
こうご断言されている。だから広宣流布は絶対なのであります。

信心なき宗門僧侶や学会幹部がですね、顕正会の折伏を聞くと
「全日本人が唱えることなど、あり得ない。」などと、
たわけた事を言っておりまするが、
これらはまさに凡夫の戯言(たわごと)ですね。
大聖人様の御威徳がわからないんですよ。凡夫の戯言であります。
日寛上人は、撰時抄の文段にこう仰せられている。
「如来の金言は大海の潮の時を差(たが)えざるが如く、
春の後(のち)に夏の来たるが如く
秋豪(しゅうごう)も差(たご)うことなし」

こういうことですね。
仏様の御予言というのは、海の潮が時をたがえずにです、
時が来れば必ず満ちてくる。また、春のあとに夏が必ず来るように、
少しもたがうことはない。これが仏様の御金言、御予言なんだ。
もし爾(しか)らば、終(つい)には上一人より下万民に至るまで、
一同に他事を捨てて皆(※注1)南無妙法蓮華経と唱うべし。
順縁広布、何ぞ須(すべから)く之を疑うべけんや。時を待つべきのみ。」
こう仰せになっておられる。仏様の御予言は少しも違うことなし、
もししからば、ついには上一人より下万民にいたるまで、って言うんでしょう。
広宣流布の時が来れば天皇陛下、上(かみ)一人の天皇陛下から、
下(しも)全国民ひとりひとりにいたるまで、一同に他事を捨てて、
あらゆる邪法を捨てて、みな「南無妙法蓮華経、南無日蓮大聖人」
と、こう唱える時が必ず来るんだと。
その「順縁広布、何ぞ須(すべから)く(※注2)之を疑うべけんや。
時を待つべきのみ。」
と仰せになっておられるんです。
そして今、この順縁広布の時が、ついに到来したのであります。
広宣流布は、甚(はなは)だ近い。

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※写真はイメージです

そのわけは先般の総幹部会で述べたごとく、二つある。
一つには日蓮大聖人の正系門家・富士大石寺において、
最大の実力者・創価学会の池田大作が、政治野心に心が狂い、
国立戒壇の御遺命を抹殺せんとした。
このような大悪事は正系門家700年の歴史において、かつてない。
大聖人様は、こう仰せられている。
「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる(大悪大善御書※注3)
重大な事には小さな瑞相なんかない、
大悪が起きたときに大善が来たるんだ。そうでしょう。
未だかってなきこの御遺命破壊の大悪こそ、
じつに御遺命成就の大瑞であります。
だから広宣流布は近いのであります。

もう一つは撰時抄にお示しの、広宣流布の予兆たる天変地夭と
前代未聞の大闘諍が、いま現れてきた。
だから広宣流布は近いのです。天変地夭を見てごらんなさい。
6年前の東日本大震災は、日本の観測史上最大のマグニチュード9.0。
未だかってない、巨大地震であります。
そして昨年の熊本大地震、これは震度7、最大の震度7、
これが二度も連続して続いた。引き続いて鳥取地震、
さらに今これが起きたら日本は壊滅と、学者が口を揃えて言っている
首都直下と南海トラフの巨大地震が、刻々と近づきつつある。
これらの巨大地震の連発こそ、諸天の怒りであり、
広宣流布の前ぶれであります。

また「前代未聞の大闘諍」とは、今まさに起こらんとしている
核兵器を用いての第三次世界大戦ですね。
この世界大戦は、もう国連などの力の及ぶところではないですよ。
世界中でまとめる者がいないんです。国連なんか無力です。
トランプも習近平もプーチンも、この戦争がどれほど破滅的で恐ろしいか、
よーくわかってる。だから巧妙な駆け引きを繰り返しているけど、
そのうちに互いの疑心暗鬼が月々日々に深まって、
それが戦争の大渦へと互いを引きずりこんでいくのであります。
もし、この第三次世界大戦がはじまったら日本は滅ぶ。
また、人類も絶滅する。この大惨事をお救いくださるのは
諸天に申しつける絶大威徳まします、日蓮大聖人ただご一人であります。

 
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ゆえに、流罪の地・佐渡雪中において大聖人様は、
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし(開目抄 種種御振舞御書※4)」
こう獅子吼(※注5)あそばされた。
この御意は、日蓮大聖人を信ずるか背くかによって、
日本の有無も人類の存亡も決するということ。
諸天に申しつける、絶大威徳まします御本仏でなくして、
どうしてこのような重大な仰せいだしができましょうか。
そしてこの絶大威徳、大慈大悲の御本仏が
日本および全人類を救うべく、いよいよ今、
諸天に申しつけて順縁広布をあそばすんですね。
その時が、到来したんです。
このとき、全日本人がもう日蓮大聖人様を信じなければ、
自分たちはどうなるかわからん、日本がどうなるかわからん、
その恐ろしさのなかにです、どうしても大聖人様を信じざるをえない
客観情勢が自然と出来てくるんです。

これは大聖人の申しつけをうけて、諸天がつくるんです。
同時にこのとき、大聖人様は無数の地涌の菩薩を召し出だして、
広宣流布に戦わしめる。いま、わたくしたちはまさしくこの時に、
生まれ合わせているのであります。
わたくしたちは、言うに甲斐なき凡夫である。
しかし、大聖人様が「地涌の菩薩である」
と仰せくださる以上は、弱い心では申し訳ないでしょう?
大確信に立たなくてはいけない。
地涌の菩薩ならば、使命のない者は一人もいないんです。
たとえ今は病弱であろうと、貧しかろうと、人にいじめられようと、
胸の奥に日蓮大聖人に南無し奉る鉄石の信心を宿して、
広宣流布に胸を熱くする人が、地涌の菩薩であります。
大聖人様に召し出だされた地涌の菩薩の大集団は、
いま、日本国に顕正会以外にはない。
顕正会こそ国立戒壇建立のその日まで一筋の忠誠を貫き、
天生原のその日、全員で大聖人様のおほめをこうむりたい。
わたくしはこう念願しておりますが、みなさんどうでしょうか。(拍手) 

 

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さて、今月4月は立宗の月ですね。大聖人様は建長5年4月28日、
はじめて三大秘法の南無妙法蓮華経を唱えいだされ、
たとえ身命に及ぶ大難出来(しゅったい)するとも、
断じて「全人類を現当二世に救わん」との、
大誓願を立て給うたのであります。
しかしこの立宗の前に、御歳12歳より32歳にいたるまでの20年間、
血の滲むようなご研鑽と、深い深いご思索があられたことは、
世間の人々は知らない。今日は、そのお姿を拝したい。
いいですか。大聖人様は御歳12のときに
仏法を学ぶ志を立てられ、近くの清澄寺へのぼられた。
その頃のご心境を、のちの四条抄にこう仰せになっておられる。
「日蓮は少(わかき)より今生のいのりなし、
只仏にならんとおもふ計(ばか)りなり(四条金吾殿御返事※注6)」

今生の祈りというのはですね、現世における立身出世とか、
世間の名声を得たい、世の中から褒められたい、
このような現世の祈りはですね、求めたことが、若いときから、
幼少の時からまったくない、と仰せられている。
願うところは、ただ仏になる、無上の仏果を得る、
ということだけを念願とされた。
まず我(われ)が、自身が仏になり一切衆生を導きたい。
これが、幼い時からの大聖人様の胸の奥に抱かれたご念願であられた。
仏様っていうのは、違うでしょう。
最初から凡夫とはまったく違うんです。

そして仏法を学ぶうちに、御幼少の大聖人の御胸に、
二つの大きな疑問が湧き上がってきたんですね。
その一つは、清澄寺の周辺で見聞きする念仏者たちの悪臨終ですよ。
念仏宗では、死ねばですね、「西方極楽浄土に行けるんだ」
みんなそういう事をいう。しかし、実際の念仏者たちの臨終を見ると、
死ぬときにあるいは狂乱、気が狂うんですね。
狂乱死、あるいは苦しみ抜き、そして死んだ後の相、
死後の相は真っ黒になっている。
これは一体どうしたことか、という疑問。

もう一つの疑問は、承久の乱ですね。これは国家のことです。
大聖人ご誕生の前の年に起きた、日本国はじまって以来の大悪事件です。
すなわち後鳥羽上皇、これは後鳥羽天皇が位が下がって、
上皇になられたんです。後鳥羽上皇が臣下の北条義時の
横暴を抑えんとしてです、兵を起こしたんです。
ところがかえって敗北して、なんと後鳥羽上皇以下
3人の上皇が、ことごとく島流しになったんですね。
このとき、皇室はまさに滅びんとしたんです。
当時の天皇の権威っていうのは絶大で、
歯向かう者は日本国のなかに一人もいなかった。
しかも天皇方はですね、この義時との戦(いくさ)に勝とうとして、
真言宗のですね、大規模な祈祷を三たびにわたって行ったんですね。
いっぽう北条義時は、何の祈りもしなかった。
しかるに、天皇方はみじめに惨敗してしまった。
これは一体どういうことなのか、という疑問であります。

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※写真はイメージです


いいですか。臨終に対する疑問は人生の根本問題、
また、承久の乱への疑問は国家の興亡の根本原因です、根本問題です。
まさに大聖人様は御幼少にして、すでに人生・国家の根本問題
すなわち、どうすれば良き臨終を遂げられるのか、
どうすれば国家は安泰になるのか、
という大事を見つめておられたのであります。
これを解く鍵は仏法にある。ここに大聖人様は日本に渡来した一切の
経典・論釈を開き見るべく、日本国中の寺々をまわり巡られたんです。
かくて御歳12より32歳にいたるまで、血の滲むような御研鑽により、
大聖人様は釈尊一代聖教(しょうきょう)のえんでい(※注7)を極められた。
そして十宗八宗といわれるです、諸宗の誤りをもすべて見通された。
さらにさらに、何よりも大事なことは、
末法の一切衆生の成仏の大法は何か、ということであります。
大聖人様はこの大法こそ、法華経の本門寿量品の文底に秘沈された
久遠元初の根源の法たる南無妙法蓮華経である、ということを
深く深く知り給うたのであります。

かくて御歳32歳のとき、全人類を救わんと、
不退のご決意で立宗をあそばした。
さて、御幼少の時にいだかれた、先ほど申しましたが臨終の疑問のこと、
これについてはですね、妙法尼御前御返事に、こう仰せになっておられる。
「日蓮幼少の時より仏法を学し候いしが」と。
幼少の時からと、仰せになっておられましょう。
「日蓮幼少の時より仏法を学し候いしが、念願すらく
念願することがあった、それは、
「人の寿命(いのち)は無常なり、乃至されば先ず(まず)臨終の事を
習うて後に他事を習うべしと思いて」
人の命はいつ亡くなるかわからん、これは老人・若い関係ないですよ。
若くして死ぬ者もある。生まれたばかりで死ぬ赤ちゃんもいるんです。
ですから、歳の順に逝くとは限らない。そうなると人の命は無常です。
いつ死ぬかわからない。されば何より大事な、人生で最も大事な
臨終の事を習うてのちにです、他の事を習おう、ということを
御幼少のときに大聖人様は念願されたんです。

そして、「一大聖教(しょうきょう)の論師・人師の書釈
あらあら勘(かんが)へ集めて、此れを明鏡として」
これは、臨終について示されている経論等をです、
あらあら集めて、これを鏡として
「一切の諸人の死する時と並びに臨終の後とに引き向けて
み候へば、すこしもくもりなし」
臨終の善悪というのは、ここに仰せのごとく、死ぬときの姿と
臨終の後の相、この二つでわかるんですね。
死ぬときにどのような振る舞いをするか、
それから死んだ後の死後の相がどんな風になるか。
この二つで臨終の善悪ということを仏法では見るんです。
死ぬときに狂乱したり、気が狂うんですね。もがき苦しんだり、
死の恐怖に怯えたり、こうするのはいい臨終ではない。
「死にたくない、死にたくない。」こういうような死の恐怖に怯えて、
我を忘れちゃう。法華経にはです、「恐怖(くふ)せしめず」
「くふ」っていうのは恐怖(きょうふ)ですね。
「恐怖(くふ)せしめず」という経文がありまするが、
信心によって、その恐怖する心がなくなってまいります。

 
平成26年 静岡会館御入仏式
平成26年・静岡会館御入仏式より

 
御本尊を信じ「南無妙法連華経」と唱え奉る者は、
恐怖の心なく安らかに、そして臨終が近づくにつれ
自然とです、「有難い、有難い。」という気持ちが、
自然と胸から湧き上がってくる。
また、死後の相の善悪でありまするが、
地獄に堕つる者は遺体が黒くなる。
チョコレートのような色になるんです。
そして、遺体が重くなる。不思議ですよ。
ほんとに細い身体でありながら、なんでこんな重いのかというように、
遺体が重くなるのである。黒くなって、重くなる。

真言宗の中国の元祖で、善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)という僧侶がおった。
門下たちが、これを崇めるあまりに、これが死んだときにですね、
その場でもって記録を残したんですね。
その記録を、大聖人様はご覧になった。その記録にはこうある。
善無畏は(※注8)死んだ後にですね、
「黒皮隠々として骨甚だ露焉(あらわる)(神国王御書※注9)
”人死してのち色の黒きは地獄の相である”と、
大聖人様は仰せになっておられますが、
善無畏三蔵はです、天下無双の真言宗のですね、
大徳と言われておった善無畏三蔵が、
「黒皮隠々として」真っ黒な顔に全体(※注10)
この、皮膚にですね身体全体が覆われた、ということを、
弟子たちが記録に残してるんですね。

大聖人様はその記録をご覧になって、
”人死してのち色の黒きは地獄の相なり”と、
仰せになっておられるんです。いっぽう成仏する者は、
生前どれほど色が黒くとも、死してのち色が白くなる。
ですから、生前はどんなに真っ黒でもかまわない。
どれほど色が黒くても、死んだのち色が白くなり、
その遺体は不思議に軽く、かつ柔らかくなる。
臨終だけは、人の意思の及ぶところではないでしょう。
どれほど財産があろうと、権力が、名誉を得ようとも、
臨終が悪くて地獄に堕ちては、これは、
これほど恐ろしいことはないんです。
わたくしたちは、難しいことは何にもわからなくても、
ただ御本尊様を信じ「南無妙法連華経」と唱え奉れば、
自然とよき臨終をさせていただける。信心さえ強盛ならば、
必ず大聖人様の御守護がいただけるんですね。

ですから上野殿御返事には、
「御臨終のきざみ生死の中間(ちゅうげん)に、
日蓮かならずむかいにまいり候べし」と仰せくだされている。
このことは虚言(そらごと)ではないです、事実なのであります。
ですから北条弥源太殿、これは北条一門の中で
ひとり信心した人でありまするが、
この弥源太殿に対して下された御書には、
この「必ず迎えに参る」という事についてですね、
「このこと少しも虚言(そらごと)あるべからず(弥源太殿御返事※注11)」
と、こう断言をあそばされております。
わたくしは、顕正会員のよき臨終の報を聞くたびにですね、
いつもそのたびに、大聖人様の大慈大悲はなんと有難いか、
という思いが胸にこみ上げてまいります。


【注記】

※注1 「皆」正しい表記に改めるため、追記しました。
※注2 「須(すべから)く」正しい表記に改めるため、追記しました。
※注3
大悪大善御書」御書名を補足しました。
※注4「種種御振舞御書」御書名を補足しました。
※注5「獅子吼」聴き取り不能のため、意訳しました。
※注6四条金吾殿御返事」御書名を補足しました。
※注7「えんでい」不明のため、ひらがなで書きました。
※注8「善無畏は」聴き取り不能のため、意訳しました。
※注9「神国王御書」御書名を補足しました。
※注10「全体聴き取り不能のため、意訳しました。
※注11「弥源太殿御返事」御書名を補足しました。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。
きょうは浅井会長講演《前編》をお送りしました。

御書等の表記は、顕正会発行の機関紙・HPに準じています。
誤字脱字があれば、お申し付けください。
御書と漢字に強い読者さんのお越しを、お待ちしております。
 

次回の<中部大会・浅井会長講演>《後編》
は、残り約16分間のテープ起こしです。どうぞお楽しみに。