12月4日(日)神戸で近畿大会が行われました。
会場のワールド記念ホール周辺は、
あいにく昼過ぎから雨だったようですね。

ご参加のみなさん、おつかれさまでした。
本年の地方大会はこれで終わり、新しい年が開けると
春には、浜松で中部大会がありますね。


また、この12月は毎年恒例の広布御供養と教学研鑽、
年明けには元旦勤行、浅井会長の年頭の辞、成人式、
教学試験などなど、話題に事欠きませんね。

各行事の詳細は、顕正会ウオッチャーさん達にお任せするとして。
お待たせしました。今回も大会のCD音源をお借りして、
近畿大会・浅井会長講演のテープ起こしをお届けいたします。

最後に、CDを視聴した感想を添えました。
それでは《前編》からどうぞ♬

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<近畿大会・浅井会長講演>《前編》 


こんにちは。今日の近畿大会、まことに見事。すばらしいですね。
この大会場が入り切れず、あふれかえっております。
じつは、3年前の京都会館御入仏式のときに、
わたくしは「3年後に1万人の近畿大会をやろう。」
ということを、皆さんに呼びかけた。
じつはそのとき、「ちょっと厳しいかな?」と思っておったんです。
ところが、わたしは広宣流布を急いでいる。
もし広宣流布が遅れたならば、日本が滅びてしまうんですよ。
そのうち日本人が全部わかる。こんなにも日本は脆かったのか、
「宅(いえ)に柱なければたもたず(種種御振舞御書※注1)」
大聖人の仰せの通りにですね、今までアメリカを頼りにしてきた、
柱としてきた、あっという間に柱がなくなった。
日本は、こんなにも脆いかとわかった。
ですから、広宣流布しなければ日本が滅んでしまう。
なんとか急がなければ、大聖人様に申し訳ない。
そこで近畿でもって「まだ厳しいかな?」ということが
心の片隅にありましたけど、あえて「3年後に1万の大会をやろう」
ということを発表したわけでありまするが、
皆さんの決意がそれから一変してですね、
今日(こんにち)までひたむきに戦ってくれて、
見事なこの近畿大会が、1万人を超す近畿大会が、
本日ここに開催されました。
わたくしは皆さんのけなげな信心が、なんともありがたい。
うれしいのであります。この信心こそ間もなく迫りきたる
南海トラフ巨大地震をも乗り越え、広宣流布をなしとげる力になるんです。
申すまでもなく、近畿は本州の中央部であります。
東日本と西日本をつなぐ、要所であります。
この地域において広宣流布の大熱風が巻き起こったならば、
日本の広宣流布は一気にすすむ。こういう確信をわたくしは
持っておりますが、皆さん、どうでしょうか(拍手)

そして近畿の人は、これをよーく胸においてもらいたいんですね。
この近畿には、第三祖・日目上人が決死の天奏、京都の天皇への
申状(もうしじょう)を持っていく、この天奏をなされた
尊い足跡が刻まれているのであります。
日目上人は、久々に朝廷が政権をとり戻した
建武の中興(けんむのちゅうこう)をご覧になられるや、
なんとしても日蓮大聖人の御心を天皇の耳に入れん、
入らしめんとおぼされて、富士大石寺からはるばる
京都までの長途の天奏を決意されたのです。
そのとき日目上人は、すでに74歳であられた。
しかも、お若いときから折伏に東奔西走しておられて、
くるぶしもちょっと痛めておられた。
要するに、もう74歳でお身体がお弱りになっておられたんですが、
もし、そしてもし、ひとたびこの長途の天奏に立てばですね、
ふたたび大石寺に帰ることはできない、ということを何より
日目上人ご自身がご存じであられた。
しかし、この大事をなす者は自分以外にはない、
これをなさなければ大聖人様に申し訳ない、
これが日目上人のお心であられたのです。
それというのも、大聖人様は流罪・死罪を耐え忍ばれて、
鎌倉幕府を諌暁し続けられた。
そして最後、御入滅の前年の弘安四年にいたって
はじめて日本国の真の国主である天皇にですね、
三大秘法のことをお勧めになられた。
申状をしたためられたわけであります。
その申状を代奏されたのが、若き日目上人であられた。
時の天子後宇多天皇は大聖人様の御心に深く感ぜられてですね、
下し文(くだしぶみ)をたまわったんですね。
どういう文言かといいますと、
「朕、他日法華を持(たも)たば必ず富士山麓に求めん」
と、こういう下し文をたまわったんです。
そして建武の中興がなってですね、
後宇多天皇の第二皇子(おうじ)の
後醍醐天皇が、久々に政権をおとりになった。
ここに、何としても日蓮大聖人の御心を天子の耳に入らしめんと、
決死の天奏に日目上人は立たれたのであります。
 
二人の弟子を供として、富士大石寺を発たれたのが11月のはじめ、
これは旧暦でありますから、今でいうとちょうど12月ですね。
ちょうど今頃であります。
御一行は大井川を渡り、天竜川を越え、三河、愛知県ですね、
三河に入り、さらに尾張の熱田を通って
美濃国(みののくに)岐阜県に入られた。
このとき、大石寺を発たれてよりすでに10日あまり、
日目上人のご疲労の色はですね、深くおなりになられた。
そして、岐阜と滋賀の県境いにある伊吹山(いぶきやま)の
ふもとに差し掛かった、ここから京都までは、
もうあと2日という行程ですよ。
その京都を間近に望むですね、伊吹山のふもとに差し掛かったとき、
ここは難所、旅人にとって難所ですね。
雪は腰までつかるほど深い、その雪と肌を刺す寒風に日目上人は
手足凍えて一歩も進みたまわず、二人の弟子にすすめられて
近くの旅の宿でもって数日間、お休みになられた。
しかし、ふたたび立つこと能(あた)わず、お供の日尊にですね、
「この申状を、必ず京都の天子まで届けるように。」ということを
命ぜられた。そして、二人のお弟子が御守護し奉るなか、
最後の勤行を勤められて、安祥(あんじょう)として御遷化あそばされた。
日目上人御所持の申状の末文にはですね、
「日目、先師の地望(ちぼう)を遂げんが為に、後日の天奏に達せしむ」
これが最後の一行ですよ。
「日目、先師」というのは大聖人様、
そして直接の師匠である日興上人様、
この大聖人・日興上人の胸に抱かれたですね、国立戒壇建立の、
そうすれば国が安泰になる、このことの願いをですね、
先師の地望を遂げんが為に、後日の天奏に達せしむ」
と、仰せになられたわけであります。
この一文に、日目上人の御精神がすべて凝集されております。
まさに日目上人はみずからの身命をなげうって、日蓮大聖人のお心を
天子の耳に入らしめ給うたのであります。
なんという大精神。しかし、後醍醐天皇は真言宗に凝り固まって
おったんです。ためにです、日目上人の命かけての諌暁を用いなかった。
どうなったか。建武の中興は、わずか3年で崩れちゃったですね。
その後の日本は長く長く国内の動乱、血で血を洗うあの戦国時代が続いて
自界叛逆、そして明治以降においては他国との争いが始まってきた。
このように自界叛逆、他国侵逼に苦しんで今、ついにです、
前代未聞の大闘諍、他国来難が迫ってきたんです。
まさに日本は、いま亡国の淵に立っている。
このとき大聖人様に召しいだされた仏弟子の大集団・顕正会こそ
日目上人の大忠誠を鑑(かがみ)として、
広宣流布に立たなければいけない。
なかんずく日目上人の尊き足跡が刻まれた近畿こそ、
その先陣に立ってほしいと、こうわたしは念願しております。
皆さん、どうです。(拍手)


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※写真はイメージです



さて、日目上人の申状の中にはですね、
最後さっきの末文の一行手前に、こういう御文があるんです。
「法華本門の正法を立てらるれば、人も栄え、国も栄えん」
この一行です。「法華本門の正法」とは、
大聖人様が弘通せられた三大秘法のことです。
この三大秘法を立てるならば、人も栄え国も栄える、
こう仰せられている。このように、日蓮大聖人の仏法は人を、
国を根底からお救いくださる大法なんですね。
根底からですよ。
では、人を根底からお救いくださるとはどういうことか。
それは「成仏」という永遠に崩れぬ幸福境界を得させて下さる、
ということなんです。いくらお金があっても、いくら地位があっても、
権力を持っておったとしても、そんな幸福は、すぐ崩れるんですね。
となりの国のパク・クネ大統領があっという間に
追い詰められちゃって、いま命が危ないんで、
もしかしたらば亡命なんていうことすらも噂にのぼってる程でありまするが、
まことに世間の幸福なんてはかないですよ。崩れぬ幸福、それが成仏であります。
仏法は現世だけではない、臨終から来世にいたるまでお救いくださる。
これを「現当二世(げんとうにせい)の大利益」っていうんですね。
「現」というのは現世のこと、「当」というのは死んだ先の未来世。
この現当二世にわたってお救い下さるから、
大聖人様の仏法は根底の救いだ、ということなんです。
この現当二世の救済のために、
大聖人様は本門戒壇の大御本尊をあらわされ、
全人類に授与してくださったのであります。
もし、この御本尊を信じて「南無妙法蓮華経』と唱え奉れば、
いかなる人も必ず一生のうちに成仏させていただける。
一生、とわたしがなぜこれを強調するかといいますと、
釈迦仏法においては「一生成仏」というのは、あり得ないんです。
人間の寿命というのは60年、70年、80年、
長くて100まで生きる人は稀でしょう。
宇宙の永遠に比べれば、瞬間ですよ。稲妻のようです。はかない。
そのわずか一生の間に、成仏がとげられる。
釈迦仏法では、こんな常識はないんです。
行き返り、死に、死んではまた繰り返す、このように人生を繰り返して、
長い長い間の仏道修行をしてはじめて、仏になることができる。
これを歴劫(りゃっこう)修行、劫を得て修行する、
この歴劫修行を経てはじめて仏になれるのが釈迦仏法。
これが仏法では、成仏の当たり前のコースに思われておった。
しかし日蓮大聖人の仏法は、下種仏法というのは
きわめてシンプルなんです。単純なんです。
大聖人様があらわして下さったこの御本尊を信じて、恋慕渇仰するんですね。
喉がカラカラの時に水を飲みたいように、何日もご飯を食べてない時、
ほんとうに食物を欲する。このような、恋慕渇仰の思いを抱くんですね。
大聖人様に対してほんとうにありがたい、お慕わしい、
この恋慕の心をもって
「南無妙法蓮華経」と大聖人様の御名(みな)をですね、
唱え奉るならば、必ずいかなる人もです、一生を終えるまでには、
臨終の時までには必ず仏になる。これが一生成仏であります。
なんともありがたい。これが大聖人様の仏法であります。
いいですか。この戒壇の御本尊様はあの竜の口の大難を経られ、
佐渡の流罪を経られたのちに、あらわされてるんですね。
けっして立宗早々にですね、研究室の中でもって
あらわされたもんじゃないんです。御身(おんみ)でもって、
命をかけて仏法を読まれた、その後にあらわされている。
そのことを少し説明します。
 
念仏・真言・禅・律等の邪法の坊主たちは、
日蓮大聖人様の仰せが正しければ正しいほど
自分たちの地位が失われちゃう、自分たちの地位がなくなっちゃう。
そこでもって、なんとしても大聖人に対してですね、
殺害しようという、この、悪意を抱いたんですよ。  
命を奪おうとしたんです。そこで彼らは民衆を扇動し、
「日蓮房は阿弥陀仏の敵(かたき)だ。」
こう言って民衆を扇動した。
さらに、国家権力者に讒言(ざんげん)をしたんですね。
ここに国家権力による、絶体絶命の死刑が執行された。
この姿みますと、わたくしは、日本国じゅうが寄ってたかって
ただ一人(いちにん)の日蓮大聖人様を殺そうとした。
これがいわゆる、当時の日本だったんです。
これを為さしめたのは、邪宗の坊主です。いわゆる扇動ですよ、讒言ですよ。
そのことをみんな誤解して、日本国じゅう寄ってたかって、
日蓮大聖人の命を奪わんとした。
文永8年9月12日の深夜、大聖人様は竜の口の刑場に引きいだされた。
御供(おんとも)をしていた四条金吾殿は、
竜の口の刑場の頸の座を見るや、
「只今なり(種種振舞御書※注2)とこう言って、泣き伏したんですね。
この人は剛毅(ごうき)な武士ですよ、剣豪(けんごう)ですよ。
この四条殿が、泣き伏したんです。
これをご覧になった大聖人様は、
「これほどの悦びをば笑へかし(種種振舞御書※注3)」と、こう仰せになられた。
これから首を切られる寸前のお言葉ですよ。
「これほどの悦びをば笑へかし(種種振舞御書※注4)」と仰せられた。
やがて、大聖人様は泰然として頸の座に座り給うた、
そのかたわらに太刀(たち)取りが立つ。
そして、大刀(だいとう)まさに振り下ろされんとしたその刹那、
月のごとく光りたるものが、突如出現したんです。
その光が、いかに強烈であったか。
太刀取りは眼(まなこ)くらんで一歩もあゆまず、その場に倒れてしまったんです。
数百人の兵士たちも一斉に逃げ出し、皆ことごとく砂浜にひれ伏してしまった。
頸の座にましますは日蓮大聖人ただご一人、
大聖人様は声高(こうしょう)で仰せられた。大音声(だいおんじょう)で叫ばれた。
「いかにとのばら、かかる大禍(だいか)ある
召人(めしうど)には遠のくぞ、
近く打ちよれや、打ちよれや(種種振舞御書※注5)」
そうでしょう。
平左衛門みずから、大聖人様を召し捕りに来たんでしょう。
なんと「それは謀反人(むほんにん)である、
国家を危うくする重大犯人だ」
こんなことをふれ回してですね、冤罪を着せて大聖人様をですね、
数百人の武装兵士を引き連れて捕えに来た。
そのような重罪犯人ならば、なんで皆遠ざかるのかと、
なんで逃げてくのかと大聖人はおっしゃるんです。
「いかにとのばら、かかる大禍」すなわち※注7)重罪ある、
「召人には遠のくぞ、近く打ちよれや、打ちよれや」と。
だが、近づく者とてない、ふたたび大聖人様は大音声で叫ばれた。
「切るべくわ急ぎ切るべし、
夜明けなば見苦しかりなん(種種振舞御書※注6)
「もし首を切るならば急いで切れ、
夜が明けてしまったら見苦しいであろう。」
と、こう仰せになられた。
これは、死刑の催促ですよ。だが、返事をする者とてない。
全員が砂浜にひれ伏して、月の光に照らされて輝く
大聖人様の御尊容に、手を合わせてしまったのであります。
まさに、国家権力が一人(いちにん)の大聖人の御頸(おんくび)が斬れず、
かえって、その絶大威徳の前にひれ伏してしまった。
このような不可思議、荘厳の光景が、この地球上で人類史上にあったですか。
日本にない、中国にありますか。西洋にありますか。
この地球上でこのような不思議は光景は、絶対ないんですよ。
この大現象こそ、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身、
末法下種の御本仏と顕れ給うたお姿なのであります。
御本仏の大境界を、このとき証得(しょうとく)された
大聖人様は一切の人々にもですね、
「仏になってほしい」という大慈悲を起こされて、
ご自身のお悟りの全体を、
一幅(いっぷく)の御本尊様にあらわして下さった。
そして「日蓮が魂を墨にそめ流して書きて候ぞ、信じさせ給へ。
仏の御心は法華経なり、
日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし(経王殿御返事※8)」
と仰せくだされている。

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(平成27年9月6日・姫路会館御入仏式より)


いいですか。御本尊はまさしく、日蓮大聖人の御魂(みたましい)、
日蓮大聖人の御当体(ごとうたい)であられる。
そして、凡夫を仏にしてくださるお力があるんです。
ゆえに、この御本尊を信じて日蓮大聖人の御名(みな)、
御名前(おんなまえ)である「南無妙法蓮華経」を唱え奉れば、
「名は必ず体にいたるの徳あり(十章抄※9)」と仰せのごとく、
自然と体である御本尊・日蓮大聖人と一体になり、
凡夫の我が身が、そのまま成仏させていただける。
さらに大聖人様は、わかりやすくですね、
「南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、
心を宿として釈迦仏懐まれ給う(松野殿女房御返事※注10)」
と、お教えくだされている。
ここに仰せの「釈迦仏」というのはですね、
本因妙(ほんにんみょう)の教主釈尊、
まさに日蓮大聖人の御事(おんこと)ですね。
御本尊を信じ「南無妙法蓮華経」と唱え奉れば、
われら凡夫の濁った心に仏様が宿ってくださる、
すなわち日蓮大聖人が宿ってくださるのです。
大聖人様が心に宿ってくだされば、その人はもうただの素凡夫ではないですよ。
「濁水心無けれども月を得て
自(おのずから清めり(四信五品抄※注11)」
こう大聖人様は仰せですね。
どんな濁った水でも、月が映ると自然と澄んでくるではないか。
それと同じ、凡夫の濁った欲と瞋り(いかり)と愚痴でもってですね、
濁りきったこの心の中に大聖人様が宿ってくださると、
自然と心が変わってくる。
そして、その人をこんどは諸天善神が守るようになってくるんです。
ゆえに現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、
死後の生命も大安楽を得ることができる。
現世には過去の宿習、宿命によっていろんな難を受ける人がいます。
しかし「暗きにともしび(乙御前御消息※注12)」
と大聖人仰せのごとく、どんな暗くて行き先がわかんない、
どう生きたら(いいか※注13)わかんない、
この行き詰まりのときも、自然と道が開けてくる。
これが「現世に生活が守られる」ってことです。
臨終には成仏の相を現ずるんだ、
死後の生命も大安楽を得ることができる。
こういうと、「死んだ先のことなんかわからない。」
たいがいの人は言います。
仏法を知らなければ、そういうことを言うんです。
しかし、これには証拠がある。臨終の相を見ればわかるんですね。
臨終というのは、その人の一生涯の総決算、そして死んだのちに
その人がどのようなです、結果を受けるか、報いを受けるか、
そのことが臨終の相にハッキリと現れる。
この因果の厳然たる法則というのは、誰しも否定できません。
ですから、地獄に堕つる者は、生前その人が
どれほど色が白かったとしても、死んだのちしばらくして
遺体が真っ黒になる、そして重くなるんです。
不思議なことですね、重くなるんですよ。
そして、おそろしい形相になる。
いっぽう成仏を得た者は、たとえ生前色黒な人であっても、
臨終ののちに色が白くなり、軽く柔らかくなり、
なんともいえない柔和な相になる。
臨終の相だけは、人の意思の及ぶところではないですよ。
自分でこんな死に方したいとしても、そんな自分の意思の為すところではない。
で、先月の総幹部会でも二人の女性の、
臨終についての体験発表がありましたね。
一人は自分の父の臨終、一人は自分の夫の臨終。
わたしはその人たちのこともよく知ってるんで、
本当に感激をして聴いておりました。
今日も、臨終の話がありました。
このように顕正会員がですね、大聖人の仰せのままの信心をして、
仰せのままの功徳をいただいて、最後臨終に成仏の相を現ずる。
わたくしはこのことを聞くと、何ともありがたいんですね。
凡夫を仏にしてくださる、大聖人様のお慈悲がありがたいんですよ。
箸にも棒にもかからぬ凡夫をですね、
大聖人の大慈悲によって一生のうちに仏にしてくださる、
これをわたくしは顕正会員がよき臨終をとげさせて
いただいたという、その体験発表を聴くたびに思うわけであります。


【注記】
 
※注1〜6 「種種振舞御書」御書名を補足しました。 
ただし、顕正会では「種々御振舞御書」
あるいは「下種本仏成道抄」という表記かも知れません。
※注7「すなわち」前後の文脈を考慮し、接続詞を補いました。
※注8 「経王殿御返事」御書名を補足しました。
※注9  「十章抄」御書名を補足しました。
文中ではいたる『の』徳あり」と、発言のまま記載しました。
※注10 松野殿女房御返事」御書名を補足しました。
※注11  四信五品抄」御書名を補足しました。
※注12  乙御前御消息」御書名を補足しました。
※注13  「いいか」前後の文脈を考慮し、語句を補いました。


おつかれさまでした。
浅井会長講演の、前半約22分までを掲載しました。

体験発表をはじめ、お借りした音源をすべて拝聴しました。
いつもながら、かなりのボリュウムですね。
長くて恐縮ですが、もう少しおつき合いください 。

冒頭でお話ししたとおり、試聴した感想を述べていきます。
さしあたって、心にかかる点が3つありまして。

BlogPaint
※画像はイメージです


1.いつになく弱気発言⁉︎


ご覧いただいたように、3年前の京都会館御入仏式で浅井会長は
「近畿大会での1万人結集は厳しいかもしれない」
ひそかに懐かれたご心境を、吐露されていますね。 

直近の南東北大会、九州大会ではどうだったでしょうか。
客観的には「1万人なんて無理ダヨ〜」と見切られそうな局面であっても、
いつだって強気の構えを崩さない、それが昭衛さんだったはずです。

ところが、この日は違いました。

「まだ厳しいかな?」ということが心の片隅にありましたけど、

と、繰りかえし胸のうちを明かしています。
講演では、3年前の京都会館で開催を宣言してから会員の決意が一変し、
こうして無事に1万人大会が叶ったのだ、と感激を述べてらっしゃいますが。

内心は「近畿はだらしがない!」と、一喝したかったのかも知れません。
どういうことかと言いますとね。試聴をすすめるごとに、
浅井会長の不安を裏付けるかのような、ある疑問が浮かびあがったのです。

2.近畿会員はどこへ行った?


それではご覧ください。以下は登壇者の顔ぶれです。

1.体験発表 第147区総班長 / 第46隊総支隊長補(計2人)
2.正義にめざめて 第4隊支隊副長(計1人)
3.活動報告 第113区長 / 兵庫支区部長 / 第39隊長 / 第29女子部長(計4人)
4.代表決意 第26女子部長 / 第11婦人部長 / 第9男子部長(計3人)


全員幹部職ですね。このように計10名の登壇がありました。

これだけでは「なにが問題なんだ?」と思われるでしょうね。
みなさんは、これら幹部達がどこから参加したのか、
普段どこで活動しているのか、気になりませんか。

そこで司会者の紹介と、彼らの登壇に耳をすませました。すると…。

「体験発表」の2人は、愛知・石川県より参加。
「正義にめざめて」は、愛知県より参加。
「活動報告」の4人は、愛知・
兵庫・京都・富山県より参加。

なんと近畿地方よりも、北陸・東海地方が優勢となっています。

つづいて「代表決意」では「近畿〇〇部を代表して」と題し、
三者の代表が決意表明をしました。たしかに第11婦人部・第9男子部は、
兵庫県に活動拠点がある組織なので、異論はないでしょう。

ところが第26女子部長の活動地域は 富山・石川・福井県、つまり北陸地方です。
「近畿大会」のはずが登壇者10人に対して、純然たる現地幹部は
4人。
なんと過半数を割っています。どういうことなんでしょうね。

つい先ほど、顕正新聞の画像をご覧に入れましたが、
昨年の姫路会館御入仏式では、あれだけ人材がいたのにですよ。
地元の登壇者が、何人も出ていたのにです。

妙な感じですね。近畿会員に、何があったのでしょう。
一般参加者はもとより、登壇者まで全国から集めなければならぬほど、
顕正会は危機的状況なのでしょうか。

九州大会でも南東北大会でも、こんな事はなかったですよ。
体験発表も活動報告ほか、ご当地会員で埋め尽くされていました。
これには、近畿の参加者たちも幻滅だったかも知れませんね。

3.時代は省エネモードへ。


これは蛇足なんですが。近年の大会は、拍手が短くなりましたね。
例えば、浅井会長の入退場のとき。または講演の最中に、

皆さん、どうでしょうか。

と、ドヤ顔でキメ台詞を放ったとき。
ある時には1分・3分・5分以上と、やたら長かった会場の拍手。
近畿大会では、10秒〜15秒程度に短縮されています。

さらに本大会では出だしから、バラツキが目立ちました。
パラパラ…パチパチパチパチパチパチッ という感じ。
音楽記号でいうと「クレッシェンド(< だんだん大きく)」ですね。

ちなみに直近の九州大会では、近畿大会に比べると5〜10秒ほど長く、
やや力強かったものの、やはり一時期に比べるとかなりの時短です。

当日の会場では、どうだったんでしょうね。
まあ、編集でカットされただけかな〜と思いますが。
どうせなら、伏せ拝もやめちゃえばいいのに。

伏せ拝


そんなわけで、近日発刊予定の顕正新聞の特集号には
当然のごとく(大拍手)
と書かれるでしょうが、
ここでは(拍手)という、控えめな表記を守る決意であります。

ご了承くださいませ(笑)

近畿大会の感想は、以上です。 
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
きょうは浅井会長講演《前編》をお送りしました。

次回の《後編》では、残りの約25分間を掲載の予定です。
全体では、約47分間分の文字起こしとなりますね。

どうぞお楽しみに。 


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